2015年4月30日木曜日

自発性の送り先は?

小、中、高、予備校、大学、という人生のコースで学生は課題の解決もしくはそれを与る人の要望を探る事を学んできたと思います。私は美大とは各自が課題を設定し自分ならではの解決方法を実践し、その課程で作品という表現をし教授は学生の希望や課題設定が斬新かどうか感じ取り難しい問いを返す存在だと思っていました。しかし、現実は課題に対してあくせくするか、要領よく日々を過ごすかです。課題で縛る背景には、前段階の教育が自発性の先送りをしている為に大学ですら助走段階にならざるを得ない事実があると思います。それでは社会で指示待ち社員が増えるのは必然です。だいたいは卒業製作で初めて自分に向き合い個人制作をする事になります。自由を与えられて悩み、何も出来ない事に焦る学生を何人も見てきました。であるならば早い段階で自由を与えてみたらどうなるか、そもそも個性を重視する美大で一律な対応をする事自体おかしな話です。そこで3年後期からゼミではそれを実践してきました。その結果作品以前に仲間の意味や価値観の違いが浮き彫りになります。それを乗り切る方法として制作行為の有効性に気づけば美大の意味がありますが、怠ける事も自由ですからそのまま錆びてしまうリスクもあります。教授から見れば学生から引き出す意味不明な何かでも、成果として形に残す為に枠=(フレーム)を作った方が良いと考えるに決まっています。しかし、それ自体の必要性を学生自身が感じなければ無意味でしょう。教授に整えられた有利な見た目で社会に出ても直ぐに元に戻ってしまうのです。そこから先がオリジナリティーの他切さを感じれる時間なのに既に離れてしまうのはもったい無いです。ですから何時でも何処でも切磋琢磨出来る時間を作ろうと思っています。