2015年5月20日水曜日

私が COMME des GARÇONS、に感じていた事!

私は自分がファッションデザイナーという事やISSEY MIYAKEグループに在籍していた事もあり他のブランドやデザイナーに関してブログやSNSで語る事は控えてきました。今はA-netからも離れアパレルビジネスとの関係も無いので以前から気になっていたブランドに関して少しずつ思いを打ち明けて行こうと思います。それは自分の背景にあった歴史と無関係ではありません。前回語った
私は何故、独立しFINAL HOMEをプロジェクト化する事に至ったのかhttp://kosuketsumurahome.blogspot.jp/
という物語の肉付けだと思ってもらえば良いと思います。

それで、コムデギャルソンに関して今まで思ってきた事を整理して、いや整理なんて失礼、そんな事出来る訳ありません。戯言だと思って聞いてください。

コムデギャルソンというブランドは違和感すら魅力にかえてしまう深さがあると思います。通常ブランドとはイメージは守りながら技術アップを心がけ権威的な美に近づこうとします。それは不完全さへの批判となり未熟な若者が近づく事を拒みます。コムデギャルソンは自身のイメージとも戦い技術すら疑っているように感じます。イメージダウンに怯える事こそ潔し、としない姿勢が若者の共感を得る理由だと思います。人間の不完全さを批判せず、共にクリエーションしましょう。という空気を発していると思います。ファッションがどんな発生の仕方をするのか?何処に美は隠れているのか「顔を出してごらん」と語りかけているようです。「でも恥ずかしいなら隠れていなさい」と、
完璧な身体に権威の証を身に付け美を振りまきながら自信満々で闊歩する人は次の瞬間ミイラになっているかもしれません。反対に恥ずかしさを抱えたまま自分の生き方をコツコツ作る人もいます。その様な人の味方、パートナーになるファッションもある事を示している気がします。