2015年7月28日火曜日

美術館が扱える美とは?


宗教、人種、国、文化的に異なる様々な国の人達が色々な国を旅する時
普通は訪れる国の法律や習慣に従います。自国の風習で訪れた国を批判するならば行かなければ良いのです。従って、ドイツで鉤十字の服を着るにはリスクが伴います。日本国内でも地域で風習の違いから揉め事がおこる事もあります。それが強いと排他的になり差別につながる事もあります。出来れば寛容な国や地域に旅したいものです。ベジタリアンが日本に来てすき焼きにクレームをつけたからといって営業停止にはなりません。フランスでイアスラムのブルカというベールが問題視されましたが日本では着用は自由です。その意味で日本は寛容な国に属するでしょうが果たして今はどうでしょうか、では世界中の様々な人々の多様な価値観に対して寛容な国、場所とはどこでしょう?ファンタジーかもしれませんが、それを実現しようとして政治家や教育者、芸術家が活動してきたと信じたいです。デザインは限りなく他者の視線を意識し問題が起こらない事を担保にしたうえで表現に至ります。その限りでは人間の深層に潜む美を掘り起こす事は難しいです。
醜と美も複雑に絡み合いその時々で意味合いの変わる出来事を過去の芸術家達が批判に屈せず今の私達に教えてくれました。彼らの挑戦によって開かれた表現をデザイナー達は広く公共物として応用してきた訳です。決着のつかない表現、未知の感覚、タブーであった出来事、今、それらを表して良い場所はどこでしょうか、